4月25日、尼崎中央公民館で、雨の中、107人の参加者のもと、「宝塚市議会意見書可決1周年―尼崎証言集会」が開催されました。
集会プログラムの内容は、
1.「宝塚市議会意見書可決1周年を迎えて」大阪・神戸・阪神連絡会代表の挨拶
2.劇団水曜日による劇「海を越えてつながる私たち」
3.尼崎朝鮮中級学校舞踊部による舞踊「扇の舞」「小太鼓の舞」
4・DVD「“忘れてはならない、絶対に”―彼女たちの物語」の上映
5.キル・ウォノクハルモニからのビデオメッセージ
6.韓国挺身隊問題対策協議会幹事 梁路子(ヤン・ノジャ)さんによる「キル・ウォノクハルモニの近況と最近の韓国での運動状況」
7.尼崎でのこれからの取り組みについて
でした。
劇団水曜日は、ご存知の方も多いことでしょう。また、韓国ソウルでこの7月に、水曜デモを主幹しに行きます。
尼崎朝鮮中級学校の舞踊は、韓国から来られるハルモニに見ていただこうということで来ていただいたので、残念でしたが、すばらしいものでした。劇の内容ともつながるので、なかなか意味深い印象を受けました。
韓国からお招きしていた日本軍「慰安婦」被害女性のキル・ウォノクさんは、腹部の痛みで2度検査入院され、原因がわからず、今回は来ていただくことができませんでした。ですので、挺対協に頼んで、キル・ウォノクハルモニのビデオメッセージを送っていただきました。ハルモニが、私たち集会に集まった者のために、「ごめんなさい、ミヤネー、どうしましょう。」と、語りかけて下さいました。なんてやさしい、かわいい方でしょうか!これからも、ハルモニと共に、この問題の一日でも早い解決のため運動していこうと思わずにはいられません。思ったよりお元気な様子でしたが、くれぐれもお体にお気をつけ下さい。
最後は、キル・ウォノクさんの代理で来て下さった韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の幹事のヤン・ノジャさんのお話です。(以下は講演内容からの抜粋です)
『今までは、キルウォノクハルモニら被害女性たちが証言をすることによって人々が心を動かされて運動がはじまりましたが、これからは被害者の方々が自分の口から直接訴えること自体がむつかしくなってきたので、私たちの口からまだ知らない方々に伝えていかなくてはならなくなったと思います。
キルウォノクハルモニは、98年に「慰安婦」としての申告をされました。テレビを見ていると「慰安婦」被害者の方がニュースに出ていたそうです。思わず「自分も当事者なのに」とひとりごとが出て、それを息子のお嫁さんが耳にしたのがきっかけで、打ち明けました。息子達は「おかあさん今までどれほど苦しかったことでしょう」と手を握ってくれ、3人でしばらくのあいだ泣き続けていたそうです。その後、申告されて、日本大使館前での水曜デモにも毎週参加されて、運動の先頭にたっておられます。(13歳でだまされて慰安所に連れて行かれたハルモニは、性病にかかったときに卵管を無理矢理取られる手術をされました。息子さんは32歳のときに養子にもらった方です。)
申告されるまでのあいだというのは、自分がそのような経験をしたことを誰か知るのでないかと恐れていつもびくびくしながら日陰で暮らしてきたそうです。申告されて話すことでみなさんある程度自分が昔こうむった傷をいやす事ができるんですが、キルウォノクハルモニも、申告した後すぐにはご自分の体験を人前で話す勇気はでなかったそうです。しかし、被害女性が一人又一人と亡くなられる中、生きている自分が証言しなければと、数年前から証言されるようになったそうです。
日本社会の中で各地域に住む方々が力を合わせて市議会で意見書を可決して、次は県議会、次は国会とこの問題の解決を目指している運動は本当に重要だと私達も思っています。韓国のハルモニたちも注視されていて、先日福岡市議会で意見書が可決されたときも、その日に知らせを聞いて大変喜んでられました。こういうニュースがハルモニたちに元気を与えてくれます。
もう一つ皆さんにお願いしたいのは「戦争と女性の人権博物館」への支援です。ハルモニ達の記憶を博物館の中にこめるんですが、全世界の中で、今も女性に対する暴力蹂躙がまだまだ起こっています。それに立ち向かう場所としても博物館は存在していくことになります。』
大阪、尼崎、吹田と、連日の講演お疲れ様でした。とても分かりやすく、熱い思いにあふれたお話でした。“解決に向かって、できることは何でもやっていく。韓国国内でも、韓国政府に対して運動をしていくので、日本国内での運動にも力を合わせてやっていきましょう。”と日本での運動の重要性を強調しておられました。
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