水曜デモとは

日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。

2009年3月26日木曜日

オーストラリアの2市議会と福岡市議会で意見書が可決されました

2009年に入ってからも、海外から、また国内からも
日本政府に対して、日本軍「慰安婦」問題の誠実な対応、解決を求める潮流はやみません。

オーストラリア(あの親日的な)の自治体2つ、3月3日ストラスフィールド市決議でまた同じくニューサウスウェールズ州のライド市で39日に市議会決議が採択されました。
キル・ウォノクハルモニの勇気ある証言がオーストラリアの人たちを動かしました。
詳しくは、おすすめサイトの“「慰安婦」決議に応え今こそ真の解決を!”をご参照ください。
決議の内容の訳文がのせてあります。

そして、3月25日福岡市の議会で、日本政府に対する意見書が可決されました。
以下に意見書の内容をのせます。

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日本軍「慰安婦」問題に対する国の誠実な対応を求める意見書

 

かつての戦争において、日本が近隣諸国の人々に多大な被害を与えてから、すでに64年経ちますが、いまだに人々の戦争被害の傷は癒されていません。そして直接の被害者のみならず、その子孫も親世代が傷つき癒されていないことで傷ついています。日本軍「慰安婦」問題は、その象徴的な被害です。

 

 2007年にはアメリカ、オランダ、カナダ、EUなどの議会において、日本政府に対し、「慰安婦」問題の責任を認め、公的に謝罪することなどを求める決議が採択されています。2008年にはフイリピンの外交委員会や韓国及び台湾の議会でも採択され、国連などの国際的な人権擁護機関からも早期解決を求める勧告が出されています。国際社会は「慰安婦」問題を現在に通じる重大な人権侵害と認識し、日本政府が誠実に対応することを要請しています。

 

「慰安婦」問題に誠実に対応することは、戦争を遂行するために女性の性が利用されるという人権侵害が二度とないようにするという日本政府の世界への意思表示となります。そして、アジアの人々の戦争被害の傷を癒し、和解して平和的に共存していく道筋を作ることになります。

 

被害者の訃報が相次ぐ中、被害者の存命中に納得できる解決が急がれます。

よって、福岡市議会は、国会及び政府が、1993年の河野内閣官房長官談話に基づき、次の事項について誠実な対応をされるよう強く要請します。

 

1) 被害者出席のもと、国会で公聴会を開くこと

2) 「慰安婦」問題の責任を認めて、政府は公的に謝罪すること

3) 「慰安婦」問題の解決のため、政府は被害者の名誉回復を図ること

 

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

 

                               平成21年3月 日

衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、法務大臣、外務大臣、文部科学大臣 あて

 

                               福岡市議会議長 川口 浩 

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マスコミは、自衛隊の迎撃の準備のことを当然のことのように垂れ流して、
市民の平和運動や非戦・反戦運動のことはないがごときのように、ほとんど伝えません。

去年の3月26日のこの日に、宝塚市議会で意見書が可決されてから、東京都清瀬市
札幌市と議会から意見書が可決されています。そして今また、朗報が、、、。
これにつづいて、現在、日本全国で取り組みが行なわれています。
近隣の地域での運動に御協力お願い致します。



2009年3月13日金曜日

「識字教室」の作品展


2月26日~28日 識字教室の作品展がありました
毎年恒例の作品展が開催されました。(地域の文化・発表会に参加という形です)毎週月曜日・水曜日は午後1時から、土曜日は10時から、識字教室が開かれています。年に1回、このようにして習字や作文を発表するのです。

習いにこられている方々は、在日コリアン一世のおばあさん達、日本人のおばあさんお一人、在日中国人のおばあさんお一人、数名の男性(嘗て、路上生活をされていた方々)です。「識字って何だ?」と思われる方は、“部落解放”“字を識る”“パウロ・フレイレ”などをキィワードに勉強して下さい。私もまだまだ解っていないですし、ここで簡単には言えないので、、、。
みなさん、今まで、“字が書けない、読めない”ということで、日常生活に不便を強いられるだけでなく、情報格差や仕事の機会の格差、社会的に不利益を被らされ、結果的に差別されてこられた方々です(逆も真なりですが)。しかも、「字が読めない、学がないから自分はだめだ」と思わされてこられました。
在日コリアン一世の方は、夜間中学や、定時制高校に行かれた方も多くいます。また、逆に識字教室を通じて、夜間中学や定時制高校に行かれるようになった方もいらっしゃいます。
私は、“先生”として参加しているのですが、教えるというよりは、教えてもらっています。みなさん、歴史の生き証人ですから。お話、作文の内容は、本当に貴重です。聞かせていただく機会があることが、本当にありがたいと思います。
父や母が12歳になったら、「慰安婦」にされるからと、日本に働きに行っている男の人と結婚させられたから日本に来たというハルモニ。
南京に行く進路沿いに故郷があり、鉄道を日本兵が毎晩見張っていた、日本兵が女の人をさらって乱暴するから、おかあさんが、顔を真っ黒に塗ってドブ(排水溝)に小さくなって隠れなさいと、言われ言う通りにしていた、というダーニャ。
被害女性達と変わらない世代です。同じ場所にいて、被害にあったか、あわなかったかの違いです。ここにいらっしゃるおばあさんたちも、同じ経験をしたかもしれない、、、。

おばあさんたちの辛い体験を乗り越えてきた逞しさ、強さ、明るさ、優しさ、寛容さ、ユーモアに、尊敬の念を抱かずにはおれません。
“もっと長生きしてもっと勉強して思ったことぜんぶ書きたい。それで死んだら死んだら思いのこすことはない。”(あるハルモニの文章)みなさん、学ぶことにとても熱心で、喜びにあふれています。
お花見や遠足では、歌って踊って食べてと楽しむのですが、最近は、やはり、みなさん高齢となられているので、体調を崩されたり、足がいうことを利かなくなったり、参加が難しくなる方もいらっしゃいます。
勉強しているのは、「日本語」。多くの方にとっては、かつての侵略者、抑圧者の言葉です。日本に住んでいるなら、日本語ができることは強みになるのですが、、、。複雑な思いにとらわれている今日この頃です。

2009年3月10日火曜日

国際女性の日に戦争と女性の人権博物館着工式

3月8日、国際女性デイのこの日、ソウルの西大門で、『戦争と女性の人権博物館』の起工式「希望の地を固める」行事が開かれました。

『戦争と女性の人権博物館』についてパンフレットから。

建設の背景と主旨

1990年11月16日に韓国挺身隊問題対策協議会が発足し、日本軍「慰安婦」問題を解決するための運動を始めて15年がたちました。この間、国連やILOなどの国際機関は日本軍「慰安婦」制度を、反人道的な犯罪であり戦争犯罪であると規定して、日本政府に法的責任を追及する勧告を出しました。

 しかし、日本政府は未だに罪を認めず、法的責任も回避しており、被害者たちは一人一人と解決を見届けることなく亡くなっているのが現状です。

 運動が始まった時、被害者たちの勇気ある証言によって、私たちの社会は過去の歴史を振り返ることができました。被害者たちは、人権と平和のための生きた教科書となってくれたのです。

 そして今、私たちは彼女たちの勇気ある告白を、希望に変えていかなければなりません。生きた歴史である彼女たちが私たちのそばから離れていく前に、『戦争と女性の人権博物館―日本軍「慰安婦」被害者の尊厳回復のために』を建設しようと思います。

 この博物館を通じて日本軍「慰安婦」ハルモニたちの名誉と人権を回復させ、二度と人類の歴史上にこのような犯罪が再発しないように教育し、人権と平和を愛する人々を増やしていきたいと思います。今もなお世界のあちこちで続けられている戦争と、その中で暴力を受けている女性たちの問題を明らかにし、連帯することでその女性たちに希望を与えたいと思っています。

 博物館建設のため市民の力を集めて下さい。

  〔戦争と女性の人権博物館〕共同建設委員長

(建設の目的)
1.日本軍「慰安婦」被害者の名誉と人権回復
2.次世代のための人権教育・平和教育・歴史教育
3.日本軍「慰安婦」のような類似犯罪の再発防止
4.戦時の女性に対する人権蹂躙犯罪解決運動と連帯
(構成計画)
教育館、運動史館、戦争と女性の人権館、歴史・生涯館、個別生涯館、体験館、資料室、特別展示館、ハルモニシムト(休憩場)



8日の着工式における韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の常任代表である尹美香さんのメッセージです。

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「希望の地鎮祭(地固め)」をともにして下さって本当に喜んでいます。
皆幸せそうで、私たちも幸せだったのです、力をもらいました。
今日の着工式を通して、「私たちはやりとげられる」という確信もできました。
ありがとうございました。
忙しい歩み、困難な歩みを、希望の歩みにして、平和と人権を歌って下さり、博物館の完工を祈って
下さって、心より感謝いたします。
全てのことが美しい寄付でなし遂げられるよう才能を寄付して下さり、お気持ちを寄付して下さって、博物館建設基金に寄付を送って下さって、感謝申し上げます。
日本から約60人が参加して、航空料、ソウル滞在費を使われていたにもかかわらず、博物館建設のための後援支援金も持ってきていただきました。
それらの寄付をくださった方たちを思って、余裕のない中からも、そのようにいただいた寄付なので、その封筒を受取りながら、封筒の上に涙落とすほかはありませんでした。
今回の着工式を迎えて、送ってくださった寄付は、日本から来られた方々が、110万円以上を集めて下さり、国内でも1700万ウォン余りを集めて下さいました。
毎月定期的に後援されると言って、CMSの自動振替申込書を書かれた方もいました。
歩みをさらに進めたいと思います。私たちの志が結実を見られるように、それで、もう一度今日の着工式席で再会して、真の平和の踊り、解放の踊りを踊れる日を期待したいと思います。
その日のために努力いたします。もう一度、今日共にして下さって、心より感謝申し上げます。
そして、今後もいつもそばでご一緒することを、恥知らずながら、もう一度お願い申し上げます。
3月8日の一時間を越えた時間に、感謝の気持ちを込めて...

尹美香(ユン・ミヒャン)常任代表
韓国挺身隊問題対策協議会

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同博物館は、ソウル・西大門独立公園内に建てられ、2010年8月完工を目標としています。地下1階、地上3階、延べ面積約1,233平方メートルの館内には日本植民地時代の歴史、「慰安婦」被害者が受けた被害や人権問題などに関する各種資料が展示されます。約35億ウォン(約2億1640万円)と見積もられる事業費も、募金額が17億ウォンにとどまっています。着工式の後も、残りの事業費をまかなうための募金活動を続ける予定です。博物館完成まで、今後もさらなる協力が必要です。
本来なら、このような施設は、日本国内にこそあってしかるべき、なはずです。韓国の女性運動に学び、そして共に進んでいきましょう。博物館建設は、私たちの仕事でもあるのです。募金活動にご協力をお願いします。

詳しくは、おすすめサイトの“「慰安婦」決議に応え今こそ真の解決を!”をご参照ください。


2009年3月4日水曜日

2009年2月18日第2回水曜デモin長田

遅くなりましたが、、、。
2月18日に行なわれた水曜デモは、参加者20名と大盛況。私の仕事の先輩や、メールでお誘いしていた方も、お2人法案の署名用紙を持って参加してくださいました。300枚刷ったチラシも7時くらいには、無くなってしまい、予備で持ってきた3・1上映会のチラシ100枚もあっという間に配り終えました。御協力いただいている方々のおかげです。ありがとうございました。チラシを受け取った方には、神戸でもなんとか、運動を広げていきたいという熱い思いがヒシヒシと伝わっている筈です。
今回は、大阪でも、西宮北口でも、美声を聞かせてくださっているTさんに水曜デモの歌を歌っていただきました。歌曲調の崇高なメロディー、かと思うと、河内音頭もいけてしまうレパートリーの広さです。Tさんが替え歌をされた河内音頭の歌詞を載せます。


ぜひ、地域の皆さんで運動会、盆踊りで、歌って踊って下さい。
日本特有のナショナリズム的な盆踊りや音頭が、日本帝国主義が生み出した「慰安婦」被害者の方々のことをこれほどまでに力強く応援できる、訴えることが出来るのです。価値の転換でした。浅はかな偏見でした。民衆、大衆文化は、やっぱり被抑圧者の味方です。去年のアジア連帯会議でも、大うけでした。

河内音頭水曜デモバージョン
  
 鉄砲光三郎氏の河内音頭を元に採譜編曲しました。替え歌作詞:T
 
1.若く幼い女性らが  つかまえられて だまされて
  連れてこられた 慰安所に  列を作って 並ぶのは
      天皇陛下の おんためと  狩り出されたる 日本兵
  とうさんかあさん たすけてと  心の悲鳴は 聞こえたか
  罪の意識は  罪の意識は 覚えずか
2.手柄たてよと おだてられ  人の生首 切り取った 
  人を人とも 思わずに 奪い犯して 村を焼き  
  処罰もされず 永らえて  もらう恩給 潤沢に
  酒席で語る 武勇談  日の丸君が代 万々歳と  
  ささえ続ける  ささえ続ける 自民党
3.45年の 終戦で  地獄のくさり 解かれたが 
  見知らぬ異国に 捨てられて あるいは証拠 隠滅と
  殺されし友 幾万人  記憶の痛み 耐え難く
  親にも言えず 苦しみの  隠して生きた 幾十年
  彼女らに光 彼女らに光 ささぬのか
4.時は流れて 90年 慰安婦制度 なかったと
  うそぶく日本 政府への 抗議の声を 発したは
  金学順さん その人ぞ  ここに私が 生き証人
  今こそ全て 語らんと  鋭い叫び 真実の
  言葉の光  言葉の光 闇を裂く
5.韓国朝鮮 台湾に  中国フィリピン マレーシア
      日本軍  慰安所に  捕らえられいし 女性らが
  世界各地で 立ち上がり  叫び始めた 証言は
  世界の人の 胸をうち 日本政府を 非難する    
      議会決議が 議会決議が 各地から
6.ソウル日本 大使館  前の道路に 綱を張り
  毎週水曜 12時に  ハルモニたちは 集い来る
  挺対協の 若者と  手に手をとって 叫ぶのは
  日本政府は この罪を  認め謝り つぐなって
  真の歴史を  真の歴史を 知らしめよ


残念ながら、今回は踊り手が経験不足で、3番までしか歌ってもらえませんでした。
河内音頭はいろいろな踊り方のバージョンがあるそうですね。明日の大阪の水曜デモで練習します!

2009年3月2日月曜日

3・1「ナヌムの家」上映会

3月1日の午後2時から、大阪・神戸・阪神連絡会 水曜デモin長田が主催する上映会がありました。
早速、その日の感想を報告していただきましたので、公開します。
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<3・1「ナヌムの家」上映会が開催された>

 うららかな陽気で、花粉舞う中「ナヌムの家」上映会が「水曜デモin長田」の会場を見下ろせるピフレにおいて開催された。当日は「3.1節」ということもあり、各地でさまざまな企画が行われ、出足が心配されたが30名近い参加者で会場が埋まった。遠くは奈良からの参加者や、若者の(はい、私はアジョシです)参加もあり、「慰安婦」問題への関心が広まりつつあるように感じた。ただ男性参加者が5名のうち日本人は1人と言うことに、今後の課題の一つも思わざるを得なかった。

最初に在日韓国民主女性会大阪本部の方清子さんの「お話」があり、簡潔に「慰安婦」問題の経過と今後の課題が語られた。2007年にアメリカ下院やEUでの「謝罪要求決議」がなされたが、相当の困難を乗り越えての運動であったことが紹介され、「祈るだけでは何も始まらない。できることから行動を起こしていくことが大切だ」と強調された。また、「記憶と記録」に残していくことが重要であり、その一つとしてソウル西大門に「戦争と女性の人権博物館」の着工式が3月8日に行われることが紹介
された。

続いて1994年に製作された「ナヌムの家」の上映が行われた。声高に告発するのではなく、淡々とハルモニたちの姿が映し出される中、ハルモニたちの一言ひとことが胸の中に澱のようにしみこんでいく、そのようなドキュメンタリーであった。この映像の中に登場するハルモニたちの半数以上はすでにこの世にいないと言う。時間が残されていないという切迫感を与えられた。

会場からの発言で、あまり知られていないがインドネシアにおいて「日本人『慰安婦』」もいたことが説明された。「知ってはいたが、映画を見て重要なことが学べた。学校などで上映活動を行うべきだ」「映像を初めて見てショックを受けた。すべき時に行動をしないと無念のみ残ると思う」「当時の男たち(軍人)は恩給を受けてのうのうと生きている。これからも負けんとやっていきたい」などの発言が続いた。また、「奈良でも取り組みを強めていきたいと思っている」と力強い発言もあった。名乗り出られた234名のハルモニたちはすでに93名になっている。これからのとりくみが急がれる。
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ありがとうございました。

方さんは、「性暴力」は、重大な犯罪であり、戦争や軍隊があるところには、見えないようにされているが必ず存在するという認識を、全ての人が持ってほしい。日本軍「慰安婦」被害女性たちは、将来二度と自分たちのような被害者の出ないように平和活動をしているのだ、と強調されました。

座談会では、若者たちから“初めて見た、改めて考える、映像で見ると違う”という発言が聞かれ、アンケートにも熱心に回答してくれました。その発言にヒントを得て、神戸市内近郊の大学で連続上映など、どうでしょうか?新入生歓迎企画なんか今でもやってるのでしょうか?ぜひそのひとつとして、やってもらいたいですね。大学内では、学生か教授などが関係している市民団体しか主催することが出来ないのです。