遅くなりましたが、、、。
2月18日に行なわれた水曜デモは、参加者20名と大盛況。私の仕事の先輩や、メールでお誘いしていた方も、お2人法案の署名用紙を持って参加してくださいました。300枚刷ったチラシも7時くらいには、無くなってしまい、予備で持ってきた3・1上映会のチラシ100枚もあっという間に配り終えました。御協力いただいている方々のおかげです。ありがとうございました。チラシを受け取った方には、神戸でもなんとか、運動を広げていきたいという熱い思いがヒシヒシと伝わっている筈です。
今回は、大阪でも、西宮北口でも、美声を聞かせてくださっているTさんに水曜デモの歌を歌っていただきました。歌曲調の崇高なメロディー、かと思うと、河内音頭もいけてしまうレパートリーの広さです。Tさんが替え歌をされた河内音頭の歌詞を載せます。
ぜひ、地域の皆さんで運動会、盆踊りで、歌って踊って下さい。
日本特有のナショナリズム的な盆踊りや音頭が、日本帝国主義が生み出した「慰安婦」被害者の方々のことをこれほどまでに力強く応援できる、訴えることが出来るのです。価値の転換でした。浅はかな偏見でした。民衆、大衆文化は、やっぱり被抑圧者の味方です。去年のアジア連帯会議でも、大うけでした。
河内音頭水曜デモバージョン
鉄砲光三郎氏の河内音頭を元に採譜編曲しました。替え歌作詞:T
1.若く幼い女性らが つかまえられて だまされて
連れてこられた 慰安所に 列を作って 並ぶのは
天皇陛下の おんためと 狩り出されたる 日本兵
とうさんかあさん たすけてと 心の悲鳴は 聞こえたか
罪の意識は 罪の意識は 覚えずか
2.手柄たてよと おだてられ 人の生首 切り取った
人を人とも 思わずに 奪い犯して 村を焼き
処罰もされず 永らえて もらう恩給 潤沢に
酒席で語る 武勇談 日の丸君が代 万々歳と
ささえ続ける ささえ続ける 自民党
3.45年の 終戦で 地獄のくさり 解かれたが
見知らぬ異国に 捨てられて あるいは証拠 隠滅と
殺されし友 幾万人 記憶の痛み 耐え難く
親にも言えず 苦しみの 隠して生きた 幾十年
彼女らに光 彼女らに光 ささぬのか
4.時は流れて 90年 慰安婦制度 なかったと
うそぶく日本 政府への 抗議の声を 発したは
金学順さん その人ぞ ここに私が 生き証人
今こそ全て 語らんと 鋭い叫び 真実の
言葉の光 言葉の光 闇を裂く
5.韓国朝鮮 台湾に 中国フィリピン マレーシア
日本軍 慰安所に 捕らえられいし 女性らが
世界各地で 立ち上がり 叫び始めた 証言は
世界の人の 胸をうち 日本政府を 非難する
議会決議が 議会決議が 各地から
6.ソウル日本 大使館 前の道路に 綱を張り
毎週水曜 12時に ハルモニたちは 集い来る
挺対協の 若者と 手に手をとって 叫ぶのは
日本政府は この罪を 認め謝り つぐなって
真の歴史を 真の歴史を 知らしめよ
残念ながら、今回は踊り手が経験不足で、3番までしか歌ってもらえませんでした。
河内音頭はいろいろな踊り方のバージョンがあるそうですね。明日の大阪の水曜デモで練習します!
水曜デモとは
日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。
0 件のコメント:
コメントを投稿