水曜デモとは

日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。

2009年3月10日火曜日

国際女性の日に戦争と女性の人権博物館着工式

3月8日、国際女性デイのこの日、ソウルの西大門で、『戦争と女性の人権博物館』の起工式「希望の地を固める」行事が開かれました。

『戦争と女性の人権博物館』についてパンフレットから。

建設の背景と主旨

1990年11月16日に韓国挺身隊問題対策協議会が発足し、日本軍「慰安婦」問題を解決するための運動を始めて15年がたちました。この間、国連やILOなどの国際機関は日本軍「慰安婦」制度を、反人道的な犯罪であり戦争犯罪であると規定して、日本政府に法的責任を追及する勧告を出しました。

 しかし、日本政府は未だに罪を認めず、法的責任も回避しており、被害者たちは一人一人と解決を見届けることなく亡くなっているのが現状です。

 運動が始まった時、被害者たちの勇気ある証言によって、私たちの社会は過去の歴史を振り返ることができました。被害者たちは、人権と平和のための生きた教科書となってくれたのです。

 そして今、私たちは彼女たちの勇気ある告白を、希望に変えていかなければなりません。生きた歴史である彼女たちが私たちのそばから離れていく前に、『戦争と女性の人権博物館―日本軍「慰安婦」被害者の尊厳回復のために』を建設しようと思います。

 この博物館を通じて日本軍「慰安婦」ハルモニたちの名誉と人権を回復させ、二度と人類の歴史上にこのような犯罪が再発しないように教育し、人権と平和を愛する人々を増やしていきたいと思います。今もなお世界のあちこちで続けられている戦争と、その中で暴力を受けている女性たちの問題を明らかにし、連帯することでその女性たちに希望を与えたいと思っています。

 博物館建設のため市民の力を集めて下さい。

  〔戦争と女性の人権博物館〕共同建設委員長

(建設の目的)
1.日本軍「慰安婦」被害者の名誉と人権回復
2.次世代のための人権教育・平和教育・歴史教育
3.日本軍「慰安婦」のような類似犯罪の再発防止
4.戦時の女性に対する人権蹂躙犯罪解決運動と連帯
(構成計画)
教育館、運動史館、戦争と女性の人権館、歴史・生涯館、個別生涯館、体験館、資料室、特別展示館、ハルモニシムト(休憩場)



8日の着工式における韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の常任代表である尹美香さんのメッセージです。

********

「希望の地鎮祭(地固め)」をともにして下さって本当に喜んでいます。
皆幸せそうで、私たちも幸せだったのです、力をもらいました。
今日の着工式を通して、「私たちはやりとげられる」という確信もできました。
ありがとうございました。
忙しい歩み、困難な歩みを、希望の歩みにして、平和と人権を歌って下さり、博物館の完工を祈って
下さって、心より感謝いたします。
全てのことが美しい寄付でなし遂げられるよう才能を寄付して下さり、お気持ちを寄付して下さって、博物館建設基金に寄付を送って下さって、感謝申し上げます。
日本から約60人が参加して、航空料、ソウル滞在費を使われていたにもかかわらず、博物館建設のための後援支援金も持ってきていただきました。
それらの寄付をくださった方たちを思って、余裕のない中からも、そのようにいただいた寄付なので、その封筒を受取りながら、封筒の上に涙落とすほかはありませんでした。
今回の着工式を迎えて、送ってくださった寄付は、日本から来られた方々が、110万円以上を集めて下さり、国内でも1700万ウォン余りを集めて下さいました。
毎月定期的に後援されると言って、CMSの自動振替申込書を書かれた方もいました。
歩みをさらに進めたいと思います。私たちの志が結実を見られるように、それで、もう一度今日の着工式席で再会して、真の平和の踊り、解放の踊りを踊れる日を期待したいと思います。
その日のために努力いたします。もう一度、今日共にして下さって、心より感謝申し上げます。
そして、今後もいつもそばでご一緒することを、恥知らずながら、もう一度お願い申し上げます。
3月8日の一時間を越えた時間に、感謝の気持ちを込めて...

尹美香(ユン・ミヒャン)常任代表
韓国挺身隊問題対策協議会

********

同博物館は、ソウル・西大門独立公園内に建てられ、2010年8月完工を目標としています。地下1階、地上3階、延べ面積約1,233平方メートルの館内には日本植民地時代の歴史、「慰安婦」被害者が受けた被害や人権問題などに関する各種資料が展示されます。約35億ウォン(約2億1640万円)と見積もられる事業費も、募金額が17億ウォンにとどまっています。着工式の後も、残りの事業費をまかなうための募金活動を続ける予定です。博物館完成まで、今後もさらなる協力が必要です。
本来なら、このような施設は、日本国内にこそあってしかるべき、なはずです。韓国の女性運動に学び、そして共に進んでいきましょう。博物館建設は、私たちの仕事でもあるのです。募金活動にご協力をお願いします。

詳しくは、おすすめサイトの“「慰安婦」決議に応え今こそ真の解決を!”をご参照ください。


2009年3月4日水曜日

2009年2月18日第2回水曜デモin長田

遅くなりましたが、、、。
2月18日に行なわれた水曜デモは、参加者20名と大盛況。私の仕事の先輩や、メールでお誘いしていた方も、お2人法案の署名用紙を持って参加してくださいました。300枚刷ったチラシも7時くらいには、無くなってしまい、予備で持ってきた3・1上映会のチラシ100枚もあっという間に配り終えました。御協力いただいている方々のおかげです。ありがとうございました。チラシを受け取った方には、神戸でもなんとか、運動を広げていきたいという熱い思いがヒシヒシと伝わっている筈です。
今回は、大阪でも、西宮北口でも、美声を聞かせてくださっているTさんに水曜デモの歌を歌っていただきました。歌曲調の崇高なメロディー、かと思うと、河内音頭もいけてしまうレパートリーの広さです。Tさんが替え歌をされた河内音頭の歌詞を載せます。


ぜひ、地域の皆さんで運動会、盆踊りで、歌って踊って下さい。
日本特有のナショナリズム的な盆踊りや音頭が、日本帝国主義が生み出した「慰安婦」被害者の方々のことをこれほどまでに力強く応援できる、訴えることが出来るのです。価値の転換でした。浅はかな偏見でした。民衆、大衆文化は、やっぱり被抑圧者の味方です。去年のアジア連帯会議でも、大うけでした。

河内音頭水曜デモバージョン
  
 鉄砲光三郎氏の河内音頭を元に採譜編曲しました。替え歌作詞:T
 
1.若く幼い女性らが  つかまえられて だまされて
  連れてこられた 慰安所に  列を作って 並ぶのは
      天皇陛下の おんためと  狩り出されたる 日本兵
  とうさんかあさん たすけてと  心の悲鳴は 聞こえたか
  罪の意識は  罪の意識は 覚えずか
2.手柄たてよと おだてられ  人の生首 切り取った 
  人を人とも 思わずに 奪い犯して 村を焼き  
  処罰もされず 永らえて  もらう恩給 潤沢に
  酒席で語る 武勇談  日の丸君が代 万々歳と  
  ささえ続ける  ささえ続ける 自民党
3.45年の 終戦で  地獄のくさり 解かれたが 
  見知らぬ異国に 捨てられて あるいは証拠 隠滅と
  殺されし友 幾万人  記憶の痛み 耐え難く
  親にも言えず 苦しみの  隠して生きた 幾十年
  彼女らに光 彼女らに光 ささぬのか
4.時は流れて 90年 慰安婦制度 なかったと
  うそぶく日本 政府への 抗議の声を 発したは
  金学順さん その人ぞ  ここに私が 生き証人
  今こそ全て 語らんと  鋭い叫び 真実の
  言葉の光  言葉の光 闇を裂く
5.韓国朝鮮 台湾に  中国フィリピン マレーシア
      日本軍  慰安所に  捕らえられいし 女性らが
  世界各地で 立ち上がり  叫び始めた 証言は
  世界の人の 胸をうち 日本政府を 非難する    
      議会決議が 議会決議が 各地から
6.ソウル日本 大使館  前の道路に 綱を張り
  毎週水曜 12時に  ハルモニたちは 集い来る
  挺対協の 若者と  手に手をとって 叫ぶのは
  日本政府は この罪を  認め謝り つぐなって
  真の歴史を  真の歴史を 知らしめよ


残念ながら、今回は踊り手が経験不足で、3番までしか歌ってもらえませんでした。
河内音頭はいろいろな踊り方のバージョンがあるそうですね。明日の大阪の水曜デモで練習します!

2009年3月2日月曜日

3・1「ナヌムの家」上映会

3月1日の午後2時から、大阪・神戸・阪神連絡会 水曜デモin長田が主催する上映会がありました。
早速、その日の感想を報告していただきましたので、公開します。
*******
    
<3・1「ナヌムの家」上映会が開催された>

 うららかな陽気で、花粉舞う中「ナヌムの家」上映会が「水曜デモin長田」の会場を見下ろせるピフレにおいて開催された。当日は「3.1節」ということもあり、各地でさまざまな企画が行われ、出足が心配されたが30名近い参加者で会場が埋まった。遠くは奈良からの参加者や、若者の(はい、私はアジョシです)参加もあり、「慰安婦」問題への関心が広まりつつあるように感じた。ただ男性参加者が5名のうち日本人は1人と言うことに、今後の課題の一つも思わざるを得なかった。

最初に在日韓国民主女性会大阪本部の方清子さんの「お話」があり、簡潔に「慰安婦」問題の経過と今後の課題が語られた。2007年にアメリカ下院やEUでの「謝罪要求決議」がなされたが、相当の困難を乗り越えての運動であったことが紹介され、「祈るだけでは何も始まらない。できることから行動を起こしていくことが大切だ」と強調された。また、「記憶と記録」に残していくことが重要であり、その一つとしてソウル西大門に「戦争と女性の人権博物館」の着工式が3月8日に行われることが紹介
された。

続いて1994年に製作された「ナヌムの家」の上映が行われた。声高に告発するのではなく、淡々とハルモニたちの姿が映し出される中、ハルモニたちの一言ひとことが胸の中に澱のようにしみこんでいく、そのようなドキュメンタリーであった。この映像の中に登場するハルモニたちの半数以上はすでにこの世にいないと言う。時間が残されていないという切迫感を与えられた。

会場からの発言で、あまり知られていないがインドネシアにおいて「日本人『慰安婦』」もいたことが説明された。「知ってはいたが、映画を見て重要なことが学べた。学校などで上映活動を行うべきだ」「映像を初めて見てショックを受けた。すべき時に行動をしないと無念のみ残ると思う」「当時の男たち(軍人)は恩給を受けてのうのうと生きている。これからも負けんとやっていきたい」などの発言が続いた。また、「奈良でも取り組みを強めていきたいと思っている」と力強い発言もあった。名乗り出られた234名のハルモニたちはすでに93名になっている。これからのとりくみが急がれる。
********
ありがとうございました。

方さんは、「性暴力」は、重大な犯罪であり、戦争や軍隊があるところには、見えないようにされているが必ず存在するという認識を、全ての人が持ってほしい。日本軍「慰安婦」被害女性たちは、将来二度と自分たちのような被害者の出ないように平和活動をしているのだ、と強調されました。

座談会では、若者たちから“初めて見た、改めて考える、映像で見ると違う”という発言が聞かれ、アンケートにも熱心に回答してくれました。その発言にヒントを得て、神戸市内近郊の大学で連続上映など、どうでしょうか?新入生歓迎企画なんか今でもやってるのでしょうか?ぜひそのひとつとして、やってもらいたいですね。大学内では、学生か教授などが関係している市民団体しか主催することが出来ないのです。

2009年2月26日木曜日

お勧め動画です

見られない方もいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦ください。音がきけるPCでどうぞ。


福田元首相が韓国に行ったこの時に、水曜デモが始まりました。河野談話は、この発言に基づくものですね。
売国って、なんなんでしょうね。言葉がアナクロすぎますね。感性を疑いますね。

2009年2月22日日曜日

北海道札幌の水曜行動

北海道の札幌市で、お一人で水曜デモを始めた方がいるそうです。
札幌市は、去年の11月に市議会で意見書を可決させました。

この方のお話を聞いて改めて、たとえこの問題が解決したとしても、日本軍「慰安婦」問題を語り続けていきたいと思いました。忘れまじ、日本軍「慰安婦」制度!だから、教科書に記載して、歴史教育だけではなく性教育、人権教育、平和教育(そんなの学校にあるのかな?)として教え続けていかなくては。

ソウルよりは、気温は高いでしょうが、雪かきのあとの雪の塊を見ると、ぐっぐっと、寒さが身にしみます。
以下、北海道の知人からのメールをご紹介します。
********
K・Sさんがひとりで水曜デモを始めました。

その勇気と自然体に感動しています。

場所は、札幌市東区北9条東7丁目ファイターズ通り、ギャラリー茶門の前です。

 2月4日(水)から始めました。休む日もあるけど一応毎週水曜日。

  昨日は、氷点下五度、紙を持って立っていると、指先がすぐに悴んできます。

 丸椅子を置いて、立っていたり座っていたり。

  時間は、昼休みの12時15分から30分間。

 信号待ちの車や買い物帰りの人々が、何をやっているのだろうと見ていきます。たまには、その人達と会話も生まれます。

 ソウルのハルモニたちに連帯の気持ちを何かをすることで表現したかったとのこと。

  余り肩を張らずに、やれるときにはやる。やめたくなったらいつでもやめるの心境ではじめたそうです。

********



2009年2月15日日曜日

海南島で日本軍がしたこと
















海南島は、中国の最南、ベトナムのトンキン湾に面する大きな島です。面積3万4千平方km、日本の九州ほどの大きさで、黎族や苗族などが住んでいます。1939年2月日本海軍は海南島を占領し、その翌3月に、海口の海軍情報部長は、 台湾台北の海軍武官室を通じて台湾拓殖会社に「慰安所」設置を依頼しました。日本外務省・日本海軍・日 本陸軍の三省連絡会議の決定にもとづくものでした。
 台湾拓殖会社は、5月に海口に「海軍慰安所」を設置、その後長期におよぶ占領の間、日本軍は海南島各地に多数の「慰安所」を設置してゆきました。
「慰安所」には、日本人女性、占領地の中国人女性、植民地の台湾人や朝鮮人女性を連行してきましたが、他に海南島現地の女性たちを、強姦、輪姦、拉致、監禁し「慰安婦」として性奴隷としていました。
現在、名前の知ることのできる朝鮮人女性は、朴来順さん、金玉珠さん、李玉今さんです。
朴来順さん(1942年2月 海口で)

朴来順さんは、日本の軍艦にのせられて、1942年2月に海口につれてこられ「慰安所」にいれられました。そして、43年に1月に三亜の紅沙の「慰安所」に移されました。
そこは田独鉱山の近くで、日本軍人だけでなく炭鉱を経営していた石原産業関係者も来たといいます。台湾人と朝鮮人が50数人いたそうです。日本敗戦後、故郷に帰ろうとせず三亜北方の保亭で、道路工事などに従事されました。「ここで長い間暮らしたのだから、ここで死ぬ」と、1995年、韓国と中国が国交を樹立してから3年後に、保亭の病院でなくなりました。79歳でした。

                               中山路にあった「慰安所」のひとつ

 金玉珠さん(1923年生)は、日本の敗戦後、働かされていた「えびす」という「慰安所」で、船が出るのを待って、1946年9月に日本を経て釜山に戻ったそうです。
李玉今さん(1914年生)は、日本に12年間いた後、広東を経て、日本軍と一緒に海南島に行ったそうです。他の女性たちと一緒にトラックに乗って、いなかの日本軍基地を回ったそうです。1945年8月15日、日本基地に行ったら日本兵は一人もいなくなりました。そして、翌年2月に海南島から船に乗り日本を経て朝鮮に帰られました。
海口の慰安所には、朝鮮人朴来順さん、金玉珠さんも入れられていました。金玉珠さんは、「慰安所」から、時計台が見えたと証言しています。  

 海南島では、女性を「慰安所」に監禁する性奴隷制度とは別個に、村落に侵入した日本軍の将兵による性的暴行、自由剥奪、継続的性的犯罪がおこなわれました。少女の時、日本軍人に性奴隷とされた海南島の黎族と苗族の女性8人、林亜金さん、黄玉鳳さん、陳金玉さん、鄧玉民さん、陳亜扁さん、黄有良さん、譚玉蓮さん、譚亜洞さんが名乗りを上げ、日本政府に提訴しています。
 名乗りを上げたうちの1人の方は、16歳のとき、日本軍に徴用され「戦地後勤服務隊」に入れられ作業のとき日本兵に強姦されました。昼は水運びや洗濯をさせられ、夜は何人もの日本兵に強姦されるという日々が続きました。嫌がると顔を殴られたり、谷へ突き落とされたりしました。そのため、左骨盤が骨折、今でも脊椎も骨盤も左へ変形したままです。拷問によって死の恐怖を焼き付けられ、父母に暴行を加えて追い詰められ、さらに妊娠した少女を惨殺する場面を見せられた体験から、現在もPTSDに苦しめられていらっしゃいます。
 もう1人の方は、18歳のとき、日本兵に捕まり、駐屯地に連行され、小さな部屋に入れられて、毎晩複数の日本兵に強姦されました。1年間ほど監禁所に閉じ込められて抵抗できず、いつ殺されるか、自分が生きているのか死んでいるのかわからない生活でした。他の3人の娘たちとは別々に閉じ込められましたが、下半身から膿が流れ出るようになると4人とも解放されましたが、その3人も次々と死んでいきました。やっと帰った村でしたが、父親は死んでいました。母親の看病で元気になりましたが、再び捕らえられ監禁所で強姦の日々が続きました。日本の敗戦が色濃くなり、日本兵が突然いなくなると、彼女は郷里にもどったが、村は日本軍に焼き払われて、母も兄も死んでいました。日本兵に縛られ、踏みつけられたために、右の胸と背中の痛みはとれず、胸部は変形したままです。すべての男が恐ろしく、心を開いて結婚した優しい夫とも、最初は夜一緒に休むことができなかったそうです。しかし、夫を失った後、また日本兵が追いかけてくる悪夢を見て叫ぶことがあり、よく眠れないそうです。フラッシュバックで、日本兵に命令されたり、押さえつけられているようになり、急に不安になったり、力が抜け、涙が出たり、頭痛がしたり、吐き気がして吐くこともあるそうです。



8人の方は、日本政府を被告として「名誉及び尊厳の回復のための謝罪」と「名誉及び尊厳の回復がなされてこなかったことに対する損害賠償」を求めて、2001年7月に訴状を日本の東京地方裁判所に提訴しました。しかし、2003年に譚玉蓮さんが、2004年には黄玉鳳さんが亡くなられました。
 2006年8月30日、東京地方裁判所は、「原告らの請求は理由がない」として「棄却」するという判決を出しました。原告たちは、ただちに控訴しました。
「海南島戦時性暴力被害訴訟」は、この3月26日に東京高裁で、控訴審判決がでます。現在、日本でおこなわれた一連の「従軍慰安婦」裁判では、唯一継続中のものです。
日本軍は、海南島占領の間、住民の大量虐殺や「朝鮮村」の「朝鮮報国隊」の虐殺、略奪などをおこなっています。詳しくは、おすすめサイト“海南島近現代史研究会”をご参照ください。

2009年2月10日火曜日

大阪市会で、意見書を可決させよう!2・26出発集会

また、新たな潮流です!
大阪市で、市会から、政府への意見書を提出させる請願運動が始まります。
以下にあります京田辺市は、3月議会を目指しています。
関東地区では川崎市、関西地区では堺市、箕面市、吹田市などがすでに運動を
はじめています。
もし、これを見ておられる方が、これらの自治体に住んでいらっしゃらなくても
請願署名に署名することは可能です。
また、ご自分の自治体でも市町村議会に対して
意見書採択をもとめる請願運動はできるのです。
大きな湖に投げた小石が創ったさざ波が、ひたひたと広がってゆくように
この問題に対する私たちの思いが、日本中に広がってゆくことでしょう。


2月11日の兵庫県西宮での水曜デモのチラシの一部を
転載します。

******
大阪市会で
日本軍「慰安婦」問題の解決を求める
意見書を可決させよう!
2・26出発集会

DVD上映:「決して忘れてはならない―彼女たちの話」
講演: 石川康宏さん(神戸女学院大学教授)
「今なぜ「慰安婦」問題が大事か?」
講演: 戸塚悦朗さん(龍谷大学大学院教授)
「真の解決のための立法に向けて」
日時:2009年2月26日(木)6時半~
場所:ドーンセンター大会議室(地下鉄谷町線天満橋駅)
資料代:500円
連絡先06-6768-5360( 吉田 )090-8365-0352( 方 )

 日本軍「慰安婦」被害者として金学順(キムハクスン)さんが名乗り出られて、今年で18年になります。この18年間、多くの被害者が名乗り出られ裁判などを闘ってこられましたが、日本の裁判所は全てを敗訴にしました。そして、日本政府はいまだに公式謝罪も賠償も責任者処罰もせず、歴史教科書からも「慰安婦」問題の記述を消し去りました。
 このような日本政府の姿勢は、国際的に強い批判を浴びています。一昨年から昨年にかけて、アメリカ、オランダ、カナダ,EU、韓国、台湾で、「慰安婦」問題について日本政府に公式謝罪と賠償、教育などを求める議会決議が出されました。
 日本国内でも、昨年3月の宝塚市議会、6月の清瀬市議会、11月の札幌市議会と、地方自治体から政府に意見書があげられています。
 そして、現在も、堺市、箕面市、吹田市、京田辺市、川崎市など、多くの自治体で意見書を政府に提出するための運動が進められています。
大阪市では2月26日に出発集会を開催します。平和のために、私たちが今できることを、はじめようではありませんか!

*********