水曜デモとは

日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。

2009年1月24日土曜日

2009年1月21日第1回水曜デモ

第1回目の長田水曜デモが無事終わりました。
加古川から、宝塚から、西宮から、地元長田から友人、知人、さまざまな方が来られ、雨の日にもかかわらず、13名の方が集まりました。
この問題の今日性、緊急性を感じておられる方が、どんどん増えているということだと思います。参加された皆様、お疲れ様でした。


雨に降られ、風も吹き、かなり冷えました。新長田の駅前は、震災後、高層ビルが乱立し、
ビル風が夕方から吹き荒れるのです。
でも、ソウルのハルモニたちは、17年間もそれこそ雨の日も、風の日も、雪の日も、やってこられているのですから。私たちも負けてはいられません。

300枚のビラも人海戦術にて雨の日にもかかわらず、終了7時30分前には、すべてのビラがなくなりました。
知り合いに配るからと、10数枚もって行って下さった方もいらっしゃいます。ビラを受け取ってくださった方、見てくださった方の中から、次の第3水曜日に興味を持って参加してくださる人がいるといいのですが。


「大阪市議会で日本軍『慰安婦』問題意見書を可決させる会」が結成されたそうです。
そして今度の5月議会を目指すそうです。京都の田辺市でも同様の取り組みがあるそうです。神戸も動き出さなくてはいけません。意見書可決の実行委員会の呼びかけの準備をしなくては、、、。どなたか、一緒にしませんか?

以下に、配ったチラシから、抜粋してのせてみます。
年末のソウルでの水曜デモの様子は、第2水曜日西宮北口での水曜デモのチラシにものせているものです。

『1992年1月に韓国ソウルの日本大使館前で第1回の水曜デモが行われて以来、今日で849回になりました。雨でも雪でも毎週続けられています。


2008年12月31日、ソウル日本大使館前の水曜デモで設けられた祭壇
この年亡くなられた韓国の被害女性の遺影が飾られている

 昨年末の31日にソウル日本大使館前の水曜集会に阪神連絡会のメンバーが参加してきました。2008年度に亡くなられたハルモ二の追悼集会でした。
 キル・ウォノクハルモニ、イ・ヨンスハルモニが出席されていて、とても寒い日だったのにもかかわらず、お二人とも献花をされたり、踊ったり、アピールされたりして、元気な姿をみせてくださいました。
 水曜デモの参加者一人ひとり、ベルの形の追悼カードをかけ、黙祷し献花をしました。日本や海外からも参加者がありました。』

1 件のコメント:

情報カレンダー さんのコメント...

雨で始まりました。
冷たい雨が体を冷やすよりも緊張した体は暖かく、多くの支持者に参加してもらい無事に終えました。
これからが始まりでこの先どれだけの歳月続ければ満願成就となるのかは不明ですがその日が来るときまで頑張りましょう。