水曜デモとは

日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。

2009年3月13日金曜日

「識字教室」の作品展


2月26日~28日 識字教室の作品展がありました
毎年恒例の作品展が開催されました。(地域の文化・発表会に参加という形です)毎週月曜日・水曜日は午後1時から、土曜日は10時から、識字教室が開かれています。年に1回、このようにして習字や作文を発表するのです。

習いにこられている方々は、在日コリアン一世のおばあさん達、日本人のおばあさんお一人、在日中国人のおばあさんお一人、数名の男性(嘗て、路上生活をされていた方々)です。「識字って何だ?」と思われる方は、“部落解放”“字を識る”“パウロ・フレイレ”などをキィワードに勉強して下さい。私もまだまだ解っていないですし、ここで簡単には言えないので、、、。
みなさん、今まで、“字が書けない、読めない”ということで、日常生活に不便を強いられるだけでなく、情報格差や仕事の機会の格差、社会的に不利益を被らされ、結果的に差別されてこられた方々です(逆も真なりですが)。しかも、「字が読めない、学がないから自分はだめだ」と思わされてこられました。
在日コリアン一世の方は、夜間中学や、定時制高校に行かれた方も多くいます。また、逆に識字教室を通じて、夜間中学や定時制高校に行かれるようになった方もいらっしゃいます。
私は、“先生”として参加しているのですが、教えるというよりは、教えてもらっています。みなさん、歴史の生き証人ですから。お話、作文の内容は、本当に貴重です。聞かせていただく機会があることが、本当にありがたいと思います。
父や母が12歳になったら、「慰安婦」にされるからと、日本に働きに行っている男の人と結婚させられたから日本に来たというハルモニ。
南京に行く進路沿いに故郷があり、鉄道を日本兵が毎晩見張っていた、日本兵が女の人をさらって乱暴するから、おかあさんが、顔を真っ黒に塗ってドブ(排水溝)に小さくなって隠れなさいと、言われ言う通りにしていた、というダーニャ。
被害女性達と変わらない世代です。同じ場所にいて、被害にあったか、あわなかったかの違いです。ここにいらっしゃるおばあさんたちも、同じ経験をしたかもしれない、、、。

おばあさんたちの辛い体験を乗り越えてきた逞しさ、強さ、明るさ、優しさ、寛容さ、ユーモアに、尊敬の念を抱かずにはおれません。
“もっと長生きしてもっと勉強して思ったことぜんぶ書きたい。それで死んだら死んだら思いのこすことはない。”(あるハルモニの文章)みなさん、学ぶことにとても熱心で、喜びにあふれています。
お花見や遠足では、歌って踊って食べてと楽しむのですが、最近は、やはり、みなさん高齢となられているので、体調を崩されたり、足がいうことを利かなくなったり、参加が難しくなる方もいらっしゃいます。
勉強しているのは、「日本語」。多くの方にとっては、かつての侵略者、抑圧者の言葉です。日本に住んでいるなら、日本語ができることは強みになるのですが、、、。複雑な思いにとらわれている今日この頃です。

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